ミーンミーンと鳴き声が聞こえて来ると、「ああ、夏なんだなあ」としみじみ感じます。今回のテーマである「セミ」というのは身近な虫でありながら何を餌にしているのか、どんな生態なのかを全く知らないミステリアスな生き物で、害虫とも益虫とも取れない中途半端な虫、それがセミ。
半端な気持ちで捕まえようものなら「そんな網裁きで俺を捕まえようなんて甘いぜミンミン」なんて言わんばかりにオシッコをかけてくる。それがセミ。生まれ変わってもセミだけにはなりたくないですよね。ほんとに、絶対に。気持ち悪いですね。
小さい頃、近所の公園には凄まじい数のセミがいました、しかし近くの公園はクマゼミ9.9割、アブラゼミ0.1割のセミ比率だったので、アブラゼミがどうしてもとりたかった私は隣町まで歩き、捕まえに行ったほどセミ愛は深かったのです。昼ごはんはそこそこにして右手には虫取り網、左手には虫かごで、嬉しそうにセミをとりに行き、親に「そんなにとってどうするつもりなんだ」とよく怒られました。
セミのお腹を見ると鳴くオスなのか、鳴かないメスなのか区別が付きますので、メスなら逃してオスは籠に入れていました。家の中で聞くセミの鳴き声はまた格別だったからです。仮にセミが人間サイズだったら東京から鹿児島まで、約960キロ先まで鳴き声が聞こえるそう、騒音おばさんなんて可愛いものです。
そんな中で祖父は毎日のように虫かごをいっぱいにして帰って来る私をみて「〇〇はセミ捕りが上手い」とおだてられたものですから、「将来は何になりたいの?」と聞かれるたびに「セミ捕り博士になる!」といった架空の職業発表によりポカンとした顔をされることがよくありました。だってそんな職業ありませんから、そんなセミ捕り博士は何度もセミを飼育しようとチャレンジしましたが何を食べるのか知りませんから、(調べようともしなかった私が悪い)これまで1度も餌をやったことはなく必ず翌日には死なせていました。(死んだと思ったら急に飛ぶタチが悪い奴もいた。)
仮に現代の技術を駆使したとして、セミを何日間生かせられるのだろうか、土の中に何年も過ごして、僅か1週間という命のなかで、何を楽しみに生きているのだろうか、ずっと疑問に感じます。
その昔、世にも奇妙な物語で「来世不動産」という話がありました。死んでしまった1人の男が来世に何になるか「物件」を探し、「1週間の命だが夜の営みの100倍以上気持ち良い」と言われるセミになる、といった話なんですが、もしかすると世のセミたちはエクスタシーのためにあんなに叫んでいるのかな、と感じる話でした。