独り相撲日本代表

取るに足らない戯れごと

蜜柑色したひっぴー

「この楽曲はTikTokで流行らないでほしい」という意見をチラホラ聞くことがありますが、私が推察するにこの理由には2つあると考えています。

①切り取られたパートの部分しかTikTokユーザーは知らないので、本当にその歌を知っているとは言えないから。曲から読み取れるメッセージも分からないまま自己顕示欲を満たすbgmツールとして、好きな曲が消費されるのはファンとして腹立たしい。「何も知らないくせに」といった感情。

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(画像に対して特に意味はありません)

「マイナーな曲を知っている俺」という自分自身のアイデンティティが、ネット内の流行による大衆化に伴い無くなるかもしれないので。すがる場所、言い換えると自分が唯一誇ることのできる部分が無くなってしまうから。

ひねくれすぎでしょうか。

しかしながら大学生である身分の私には様々な種類の友達がいますが、マイナーな曲、映画、バンドなどを個人で楽しむに留まらず「これは俺のソウルだ」と言わんばかりに自身の知識をひけらかす、相手がそれに対してよく知らないことを分かっていながら優越感に浸る痛々しい人をよく見てきたのでこんなところだと考えます。

 

私自身は色々な曲が知れるしいいなぁ。と去年頃までTikTokを見ていたのですが、やはり自己肯定感メーターが振り切れた人の踊り狂う投稿を見るのがどうしてもしんどくなったと言うものがあり、(半分羨ましくもありますが)その中で自分の好きな曲が使われていたらダブルパンチで苦痛なので辞めてしまったのでしょうか、思い入れのある曲を「いいね稼ぎ」に使われたくは無いでしょうよ。

 

とにかく言えることとしてTikTokユーザーには「曲の美味しいところ」の本質が見えていないのでは?と感じられます。リズム重視の曲でも多少なりともメッセージはありますし、歌詞の考察をすると本当にやめられません。

 

そこで今日は私の好きな歌手であるやくしまるえつこ(カバー元ははっぴいえんど)の「はいからはくち」についての考察を述べていきたいと思います。はいからとは明治時代に使われるようになった言葉で、西洋風のみなりをした人の事を揶揄する意味を込め使われるようになりました。要は「海外かぶれ」「流行りに流されやすい人」という意味です。歌詞を見ても一見どんな意図がこの歌にはあるのか?と思われます、この曲の歌詞部分は二つのパートに分かれています。一つずつ見ていきましょう。

 

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①ぼくははいから血塗れの空を
玩ぶきみと こかこおらを飲んでいる
きみははいから裳裾をからげ
賑やかな都市を飾る 女郎花

②ぼくははいから血を吐きながら
きみののおにただ夕まぐれ
きみははいから唐紅の
蜜柑色したひっぴーみたい

 

「ぼく」が感じている事

「ぼく」は「きみ」のことをまるで「賑やかな年を飾る女郎花」もしくは「唐紅の蜜柑色したひっぴー」だと思っており、そんな二人は「こかこおら」を飲んでいる、という情報が読んで取れます。

 

「はいから」の後ろに続く言葉

「ぼく」側のはいからと言った物には後から「血」というワードが必ず出てきます。

「きみ」側のはいからには「唐紅」「裳裾」という古き良き日本。ハイカラな風情とはまるで無関係な身なりをしていることが分かります。

「ぼく」に関しては洋風な身なりであるか和風なのかは受けて取れないので、恐らく2人共が和風な身なりをしているであろうにも関わらず洋な飲み物である「こかこおら」を飲んでいる事実が残ります。身に付けているものと口にしているものが釣り合っていないこの2人はいわゆる「はいから」と揶揄される事実があります。

「はいからはくち」は掛詞

ただ先ほど申し上げたように、

「ぼく」は「血」

「きみ」は「唐紅」「裳裾」というワードがそれぞれの「はいから」の後ろに付いてきます。

これは「肺から吐く血」「ハイカラ白痴」という意味合いで取られています。

つまり

「きみ」は和風の身なりをしながらコーラを飲むと言った、流行りに流されやすい「白痴」(意味合いでは重度な知的障害とされていますが、それくらい西洋に傾斜している、といった喩えのように感じます。)

 

「ぼく」はそんな「きみ」に付き合ってこかこおらを飲んではいるものの、ハイカラな「きみ」に対する嫌悪感に精神が蝕まれ、まるで肺から血を吐くほどに追い込まれている。「嫌悪」している部分は「きみ」に対して「蜜柑色したひっぴーみたい」と言っている点から見て取れるでしょう。

どれだけ海外にかぶれてオシャレをしようが蜜柑色の黄色人種じゃん、といった意味として捉えました。

 

このような形で一つの歌詞でも少し考えてみると様々なメッセージが読み取ることができるのです。

 

TikTokを撮るのも良いですが、どうせなら十分に曲を味わってみませんか??

 

 

 

それではまた。