独り相撲日本代表

取るに足らない戯れごと

恋の罪から読み解く自我親和性

 

 

突然ですが、皆さんの中にはその時々の気分によって聴く音楽を聴き分けたりしている人も少なくないのではないでしょうか。

 

例えば自分が誰かに片思いをしている時はラブソングを聴き、失恋をすれば失恋ソングを聴いたりと、当時の自分の心情と歌詞やメロディーがマッチするような曲を自然と選んでいるはずです。

 

私もその時の気分によって音楽を聴き分けているつもりですが、ある程度聴く曲というのは固定されており、何十回とリピートします。その結果、自分の好きな音楽が急速に消費されていくような、そんな感覚に陥ってしまいます。その行為自体が良くないことは頭で分かってはいるのですが、好きなものは仕方がありません。やめられないのです、

 

テンションを上げたい、又は明るい気分の時はSuperflyHi-Fiveを聴きます。この曲は2008年にリリースされた、Superflyにとっての5枚目のシングル曲で音楽アプリLISMOのキャンペーンソングに使用された曲です。

 

 

テンションが上がってきませんか?ノリノリの曲調やボーカルの力強い声も大好きなんですが、なによりも歌詞が最高なんです。

 

有能な素振り、温度差で磨り滅って行く毎日
人生 語る暇がありゃ邁進すべき オーライ?

 

理想と現実との自分にギャップが生まれた時、出来ない理由を探してうだうだしているよりも、まずは行動するべきではないのか、一歩でも踏み出す事で人生は良くなっていくと思います。この曲を聞くたびに明日も頑張ろうと自分の背中を押してくれるような、自分の中での応援ソングになっています。

 

そうは言いますが

 

自分が失敗して落ち込んでいる時というのは、あの時確かに魅力的に聞こえたHi-Fiveも「誰にでも作れるような薄い歌詞を作って売れるなんて羨ましい。」と卑屈になり、余計に沈みがちになります。そんな気分のときに聴くのが水曜日のカンパネラ「ミツコ」という曲で、聞いていて安心感を覚える曲なのです。これは2014年にYouTube内にアップされた曲です。独特な、少しダークな雰囲気で歌が走り抜けます。水曜日のカンパネラの楽曲の特徴としては、「桃太郎」「アラジン」など楽曲に昔話や伝説の人物などが多く使われています。

彼女の曲にはほとんど言える事(一部は除く)なんですが基本歌詞に意味はなく、耳に残る音をメロディにしてみました、と言ったコンセプトの歌が多いのですがこの曲は少し含みを持たせるような歌詞なんです。

 

 

 

雰囲気が独特ですよね。実はこの曲、園子温監督の映画作品恋の罪にインスパイアされた曲なのです。ラブホテル街としても知られる渋谷区円山町を舞台に、日常の生活に違和感をもつ女性たちが売春婦へと身を落としていく姿を描いた作品です。歌詞やPVから「恋の罪」の世界が広がってきませんか??

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私は小説からこの作品を知った人間なので、自分の好きなアーティストが、読んだことのある小説、それをもとにした曲を作った、と知った時とても嬉しかったのを覚えています。彼女達にしか分からない心の闇、そこからダークサイドへ堕ちていくさまが激しく落ち込んでいる時の私の心理状態とかぶるからでしょうか、歌詞がとても大好きなんです。

 

お前はきちっと落ちて来い 私のとこまで落ちて来い
お前はきちっと落ちて来い お城の周りをぐるぐる回ってこーい

 

映画におけるシナリオと歌詞がマッチしています。悲痛さの感じる叫び声のようなサビ、お前はきちっと落ちてこい 私(売春婦になった落ちぶれた私)のとこまで落ちてこいと。そう、「堕ちる」んです。ここでいう「お城」とは彼女たちのリング、ラブホテルのことでしょう。相手を見つけて日銭を稼ぐためにぐるぐる回っているのでしょう。哀れです。

 

お前も私くらいに落ちぶれろ

といわんばかりの歌詞ですが私自身も失敗した今のみじめな自分のところまでお前(嫌いな人)もおちてこい、と歌詞に自分を投影しているわけです。

 

ところで、

冒頭で記載した「自我親和性」とは行動と心の関係性を表す時に使われる言葉で、否定的な表現として「自我異所的」というタイプがあります。これは強迫観念のようなもので、心ではしたくないと思っているけどやってしまう事。例えばアルコール依存性の人はお酒を飲みすぎると体に毒と分かっていながらも飲んでしまいます。このようにやらざるをえない、という状況になって起こす結果は自我異所的と言えるでしょう。

逆の意味として「自我親和的」というタイプがあります。これは自分が行った事は望んでしている事であり、つまり好きでやっている行為のことを言います。例えば「ああ、運動してスッキリしたいな、よし走りに行こう」と言うように欲求からついてくる結果は自我親和的と言えます。

 

音楽を聴くと言う行動は、私にとっては自我親和的と言えるのでしょうか。私が歌を聴く理由として

①非現実的なファンタジーぽい歌(例えばSEKAI NO OWARIでいうスノーマジックファンタジー)を聴くことで一旦自分の置かれている状況。現実を忘れる事ができる。

②前述した「ミツコ」のようなメッセージ性の強い歌を聞く事で感情移入ができる、それは明るい歌ではなく暗い歌で、歌い手よりも悲惨な状況に置かれる人を現実にいる嫌な人に当てはめて自分よりも下の人がいるのだ、と心を落ち着かせる事ができる。

 

ここから導かれる結果として私の行動一つ一つには失敗が前提の上で歌を聴いているのです。つまり私にとって歌を聞く事は自我異所的でもあり自我親和的でもあります。どうせ失敗するから歌を聴いて心を落ち着かせざるを得ない。と心が沈みがちな時はそう考えますが、逆に自分がノっているような時は歌詞のように頑張っていこう。モチベーションを上げていこう。よし、歌を聞くぞ。という理由の元歌を聞くのです。

 

明るいときは人生語る暇がありゃ邁進すべきと歌い

暗いときはお前はきちっと落ちてこいと歌う私の現状を冷静になって考えてみると

 

情緒の不安定さがよく分かりました。落ち込む時こそSuperflyを聴いて、負けずに頑張っていこうと思います。

 

ちなみに今現在はORANGE RANGE「SUSHI食べたい」をヘビロテしています。

きっとお腹が空いているのでしょう。

 

頭を使わずとも聴くことのできる歌という感じですね。

 

余談ですが私は創作寿司しか食べられない勿体ない舌なので、肉寿司とカニミソさえあれば十皿はいけます。いつか本物の寿司を食べて寿司好きになってみたいですね。

 

 

それではこの辺で

 

 

おあいそ。